ハッピー星女王の所感のブログ

ハッピー星のまいから見る地球のいろいろ

ハッピー星のまいってダレ。

ブログ始めたはいいけど、そもそもあなた誰よってなってますよね?

 

待ってました。

自己紹介始めます。

 

これから22年間の人生のハイライトを書いていきますね。

結構長いので、時間あるときに読んでね!

 

私の基礎情報

まず、私は東京生まれ、東京育ちの22歳の女の子。

父方の祖父母も母方の祖父母も同じ区に住んでいるので、いわゆる帰省する地元やふるさとのようなところはないの。いわゆるシティガールってやつ?(黙ります)

 

幼稚園時代(2001〜2003)

 そして、幼稚園から高校まで、都内の某附属校に通っていて、計14年間、同じ環境で育ってきました。

 幼稚園のときは、校庭で鬼ごっこして、色水作っていたことしか覚えてない。笑

 

小学校時代(2003〜2009)

 小学校の時は、私の小学校が結構特殊で、小4のときに、帰国子女の子達が同学年に入学してくるんですけど、そこで初めて、自分とバックグラウンドが違う子たちと出会って、それが自分が多様性に対してごく自然と向き合えているきっかけだったのかな、って今になって思います。で、その帰国子女の子達が当時流行っていた、High School Musicalの曲で毎日ダンスしてて、それで自分もダンスを始めるようになった。

 

中学校時代(2009〜2012)

 そして、中学校。中学校は今思い返してみても、「青春」という言葉がぎっしり詰まった3年間だったな。小学校高学年で毎日ダンスしてた仲間たちと、そのままダンス部に入って、で、自分たちの学年は黄金時代と言われていて、今まで大会で入賞とかほとんどなかったのに、自分たちの学年だけ3年間連続で、何かしらの大会に入賞しつづけたんですよね。毎日、朝から昼休みから放課後までダンスしてた。本当に楽しかった。し、今でもダンス部員は大切な仲間。

 

高校時代(2012〜2015)

 で、高校。高校は、今の自分のアイデンティティが根強く形成されたところ。高校きて、初めて女子校を経験することになるの。女性しかいない環境では、逆説的に、自分が女子であるという認識が薄れ、「個」としてやりたいことに素直に向き合えてた。もちろん、だからといって女子校って女子力皆無な場所なのかと言ったらそうでもなくて、みんな自己満足の世界で自分を表現していたし、カワイイ子も多かった。(うちの高校は特にカワイイ子多いで有名w)特に、どの授業でも、先生たちに「あなた達はこれからの時代女性としてリーダーシップを発揮していくのよ」と言われていたので、学校全体として、女性のエンパワメントや、ジェンダー平等に関する課題意識はとても高かったと思う。

 それとは別に、ボランティア部の部長もしていたんだよね。社会貢献したいという気持ちはなぜか昔からあって、当時廃部危機にあった部活を救ってほしいと先輩に頼まれ、同期3人しかいなかった部活を40人まで部員増やして、改革をしたの。当初行われていた、貧困国への募金活動だけじゃなくて、ユニセフ募金を街灯で行ったり、震災ボランティアにいったり、他校のボランティア部と交流会したり、ボランティア会議って言って、ボランティア活動を始めたい高校生とボランティア活動をしている高校生を繋げる30人くらいの会議を友達と開催したりと、自分からリーダーシップをとって行動していくスタンスが身についたのは、この経験が大きいかな。

 

大学時代(2015〜2020)

 そして、大学。初めて、14年間いた同質な環境から離れたの。そして、18年間ずっと徒歩通学だったから、初めての電車通学も経験した。最初のうちは、遅延証をもらえるのが楽しみで毎日電車乗ってた。笑 青山学院大学っていう東京の中でも表参道っていう都会に位置する大学で、私はマーケティングを専攻しているの。

 

なぜマーケティング

 マーケティングに興味を持ったきっかけは高校生のときに遡るんだけど、当時、Ice Bucket Challenge(アイスバケツチャレンジ)って言って、ALSという難病の認知度を広めるために、バケツいっぱいに組んだ水を自ら被って、その動画を乗せて、次にチャレンジしてほしい人をタグ付けしていくっていうムーブメントが流行っていたのね。このムーブメントの主目的は、まだ治療法がきちんと見つかっていない中で、治療法の開発費の寄付を募るために、まずは認知度をあげようということで、こういう現象になったんだけど、これも賛否両論あって、この行動によって認知度が上がるのであれば願ったり叶ったりっていう人もいれば、こんなふざけたことするなんて失礼だって人もいたの。でも、どの声もALS当事者の声を反映できていないから、意味ないなって思っていた矢先に、自分の母校の中学生の大先輩で、このALS患者の方がいるっていうので、ある日ね、中学の先生に頼んで会わせてもらったの。

 そこで、彼はもともと広告代理店に勤めていたんだけど、ある日突然ALSの宣告をうけたっていうお話を伺ったの。で、彼は何をしたかというと、広告代理店での経験を生かして、END ALSという活動をはじめて、自らをブランディングすることで、ALSという難病の認知度を高めていったの。

 これを聞いて、マーケティングって勝手にどうやったらその商品が売れるかとかの利潤追求のツールだと思っていたんだけど、こうやって社会課題に対しても適用できるんだなって思って、それで自分はマーケティングを社会課題解決に活かしていきたいと思って、マーケティング専攻にしたの。

 

大学時代の活動いろいろ

 大学生活の中では色々な団体に入って色々な活動をしていた。

▷1年生

大学入ってすぐ始めたのが、HLABっていう今年で5年間関わり続けたことになる団体。そして、SLUSH ASIAっていうスタートアップ系の大きなフェスみたいなイベントが初日本にくるっていうことで、そのボランティアしていたり、i voteっていう、若者と政治を繋げるをコンセプトとしていた団体にも入ってた。

▷2年生

 2年生では、リクルートキャリアで有給インターンをして、Campus Collectionっていう学生のファッションショーでモデルとして出ていたり、相変わらずHLABをしていたりって感じかな。後期くらいからは就活を意識しはじめていて、実際に合説とかOB訪問とかしていたんだっけかな。

▷3年生

 3年生では、経産省で1年間アルバイトして、Ready&(LADY)っていう団体で女子高校生向けのリーダーシッププログラムのメンターをして、HLABやって、あとは就活ガチ勢だった。笑

▷4年生

 4年生では、シグマクシスっていうコンサルでアルバイトしつつ、UDSっていうまちづくりの企業でインターンして、あとは、BranCo!っていう博報堂が運営しているブランドデザインコンテストに出たり。

▷5年生

 5年生の今は、HLABやりつつ、Ready&やりつつ、女川に行きつつ、塩尻プロジェクト持ちつつって感じかな。

 

要するに興味あったことは、とりあえずやってみた5年間でした。

ハイライトはざっくりこんな感じ。

 

こんな22年間でした〜!!