人生つらい人へ
今日から暫くは、特定の人たちに向けたメッセージを書くシリーズにしたいと思います。
今回は、辛い人へ。そして次回は就活で悩んでいる人へ。
書きながら、これを届けたい人たちが頭に何人か浮かんでいるので、その人に宛てるつもりで書きます。
今日は、辛い人、特に自分が鬱であるという自覚があるひと向けに。
大学生活5年間のなかで、自分の周りの大切な仲間たちが、決して少なくない数、鬱になっていくのを見てきました。
まず鬱の中でも、診断されている人、診断にあえて行っていない人、色々いると思いますが、実はみんなが想像している以上に鬱の人は多いと思います。みんな言っていないだけ。
どうして言っていないのか。それは、鬱が深刻化するのは、周りが自分のことを「鬱の人」として接するようになってからだから。
そして診断に行かない人の理由は、診断されると、頑張ればできるようなことも、自ら「鬱だから何もできない」という逃げ道を作ってしまうことになるから。鬱じゃないかもしれないという余白を意識的に残すことで、ちょっとずつ立ち直りたいから。
逆に、診断に行った人が弱いとか、自分に負けたとかではないと思う。みんな本当にそれだけ辛いんだろうなって見ていて感じていました。
そして、鬱の人は根本的に弱い人なのか。
これは断言しますが、決してそんなことはないです。
自分の身の回りの鬱の人には必ず共通点があります。
それは、ものすごいエネルギーで何かに注力していた人。
これ100%当てはまります。今自分の周りで7人くらい鬱の友達がいますが、これ全員に当てはまる。
みんな、課外活動なり、自分の与えられたタスク以上に、周りの期待値を超えて頑張っていた人。きっと、これらの人たちは、人以上にエネルギー量が大きくて、この頑張れたときっていうのは、それがプラスに働いていたときだと思うんですね。
そして、逆に、そのエネルギー量が必ずしも毎回プラスに働くわけじゃない。それがネガティブに働いている期間が、世の中がいう、鬱状態。
自分がものすごく頑張れた時があるからこそ、そこに自分のスタンダードを持っていっちゃうし、周りからの期待値もそこにいく。だからこそ、ちょっとでもうまく行かないとき、頑張れないときの、ギャップに苦しんでいるんじゃないかと思います。
だから、周りが期待しすぎるなということではなく、頑張れている時をきちんと褒めてあげるっていう周りの姿勢が大事なんじゃないかと。
そして、鬱だという自覚のある人たちも、常に鬱状態なわけではないんですね。波があるだけ。きっと、それを繰り返すうちに、自分でも、自覚的になってくるはず。あ、きたなって。
周りの鬱から回復していった人たちに共通しているのは、まず鬱状態も自分の一部と認めて向き合って、自分なりに乗り越え方を掴んできているっていうことかな。
出来ることから、小さなことでも少しずつやってみる。
そして、絶対に自宅に引きこもらない。
ちょっとしたことだけど、これを続けていくことで、みんな徐々に回復していっているように見える。
そして、自分の周りでこの人今鬱なのかもしれないって思った人は、きちんと通常通り接してあげること、でもいつも以上に、できたことに対して褒めてあげること。
これを心がけるだけでも、だいぶ回復が早くなるんじゃないかな。
人それぞれ、辛さも、感じ方も違うと思うけど、何かに頑張れていた人たちだからこそ、そのエネルギーを自分でいい方向にコントロール出来るようになったら最強だと思う。
私、一つ夢があります。
それは自分が所属している団体に関わってくれた人たちが、心を病まないような環境を作ること。
5年間、色々な団体に所属していると、絶対いるんです。一定数。せっかく自分がいる団体に関わってくれたからこそ、ちょっとでも関わってよかったって思ってもらいたい。
組織内で活躍していた人たちだからこそ、その感情が憎しみに変わって欲しくない。
ちょっとしたことだけど、感謝の文化って大事です。
仕事出来る人が多い組織こそ、ありがちなのが、出来るのは当たり前、出来ないことに対してものすごく厳しい。
これって悲しい組織ですよね。誰だって出来て当たり前な人はいないし、みんな頑張って成し遂げている。だから、まずは出来たことに、「ありがとう」と。
出来ない時は、支え合う。小さなことに見えて、これが一番大事だと思っています。
そして、このカルチャーを組織内で作るには、まずは自分から。
カルチャーをカルチャー作るのって難しい。自分の今年のテーマは「感謝」。
「〜してくれてありがとう!」を息するように。自分からポジティブな空気を作ること、これ自分に関わってくれている人にまずやっていきたい。
長くなりましたが、いつでも辛くなったら相談乗るので、気軽にメッセージください。
まいのやりたいコト
就活をしていく中で、自分のやりたいコトが最近明確になってきたので、
今のうちに思ったこと書いておこうと思って書きます!( ・∇・)
自分のやりたいこと、ズバリ。
「それぞれが積極的に生きる世界」を実現すること。
です。もう少しわかりやすく書くとしたら、「毎朝起きるのがワクワクする社会」の実現かな。今まで、色々な、一見すると脈絡のないように思える活動も、実は全部ここに行き着きます。
具体的にみていきましょ!
やりたいこと①(自分自身に関して積極的に)
「若者が自分の幸せを自分で見つけて行動すること」
Target:若者(高校生、大学生)
Field:まずは日本
Value(価値):
・進学や就職はあくまで自己実現の手段
・実は思ってるよりも色々な選択肢を持っている
・&色々なやり方でやりたいことを実現できる
具体的に:
①多様な選択肢の提示
②選択肢がリアルなものになるための、年齢の近いロールモデルとの出会い
③「やりたい!」「なりたい!」を見つける、作り出す
④上を夢という形で発信する
⑤発信したことで目標や協力してくれる人ができ、夢を実現させる
今までの活動: #HLAB #Ready& #Yume #教育 #女性 #夢
①〜②の部分は、まさにHLABや、Ready&でやってきた活動です。
③〜⑤は、今Yume Wo Katareでアプローチしています。
解説:
選択肢をもつということは、消極的ではなく、少なくとも自分でBetterな人生を選んで生きるっていうことだと思うんです。つまり、積極的に生きるということ。どちらがBetterか、どれがBestかを考える過程で、自分にとっての幸せを考えるきっかけにもなるし、自分で選んだからこそ、逃げ道なく、納得して人生を生きれると思います。
やりたいこと②(自分の身を置く環境に積極的に)
「自分から自分の周りをいい方に変えていくこと」
Target:自分を含める居場所を探している人たち
Field:地域(国内)
Value(価値):
・自分の住む環境は自分で良くできる(&創れる)
・普段もっとも身を置く環境にこだわる(=居住地)
・自らの居場所を作って安心できる場の創出
・上記は全て政治参画への第一歩
・自分の国に対して積極的に生きる
・日本という国に生きていることに誇りを持てるように
今までの活動:#ivote #女川 #塩尻 #徳島 #政治 #まちづくり
・女川や塩尻など自ら足を運び、地域には地域の魅力があると感じた
・居場所というのは、職場だけではなく、住む場所にも求められると思った
・日本人であるというアイデンティティがあるので、日本という国に生まれたことに誇りを持てたら、もっと個々人が世界に出ても自信を持てると思った
解説:
やりたいこと①で、自分の人生って自分で変えられるという成功体験を設計することで、次のフェーズとして、自分の周りも自分で変えられるかもしれないと思うようになる。そして、自分の住む町にまずはこだわりを持つ。これって、日本の抱える高齢化問題や、人口減少問題、そしてそれに伴う、地域の過疎化という社会課題解決の第一歩でもあると思うんです。でも、東京っていう都心にきたところで、きっと地域出身の人は特に帰属意識って感じづらいと思います。だって、東京で育ってきた自分ですら、東京人っていう意識がないから。そして居場所を失ってしまうと、どんどん職場とかに依存するようになる、そうすると、辞めるにも辞められなくなるといった悪循環が生まれると思っています。それぞれが、自分のやりたいことを始める時、応援してくれるとか、戻れる場所があるっていう安心感が第一歩を踏み出すにあたって、かなり大事な要因になると思っているので、やりたいこと①と②は循環しているんですよね。
そして、私たち世代は、18歳選挙権が可決されたとき、当事者として真っ只中にいたので、若者の投票率の低さっていうことに関してはかなり課題意識を持っている世代でもあります。なので、まずは自分の住む町という身近なことから、政治に関わるきっかけを作って、「どうせ自分の一票じゃ日本は変えられない」から「自分の一票でこの町、この国は変わる」っていう感覚を醸成したいです。その第一歩をまちづくりというフィールドで達成したい。
ハッピー星のまいってダレ。
ブログ始めたはいいけど、そもそもあなた誰よってなってますよね?
待ってました。
自己紹介始めます。
これから22年間の人生のハイライトを書いていきますね。
結構長いので、時間あるときに読んでね!
私の基礎情報
まず、私は東京生まれ、東京育ちの22歳の女の子。
父方の祖父母も母方の祖父母も同じ区に住んでいるので、いわゆる帰省する地元やふるさとのようなところはないの。いわゆるシティガールってやつ?(黙ります)
幼稚園時代(2001〜2003)
そして、幼稚園から高校まで、都内の某附属校に通っていて、計14年間、同じ環境で育ってきました。
幼稚園のときは、校庭で鬼ごっこして、色水作っていたことしか覚えてない。笑
小学校時代(2003〜2009)
小学校の時は、私の小学校が結構特殊で、小4のときに、帰国子女の子達が同学年に入学してくるんですけど、そこで初めて、自分とバックグラウンドが違う子たちと出会って、それが自分が多様性に対してごく自然と向き合えているきっかけだったのかな、って今になって思います。で、その帰国子女の子達が当時流行っていた、High School Musicalの曲で毎日ダンスしてて、それで自分もダンスを始めるようになった。
中学校時代(2009〜2012)
そして、中学校。中学校は今思い返してみても、「青春」という言葉がぎっしり詰まった3年間だったな。小学校高学年で毎日ダンスしてた仲間たちと、そのままダンス部に入って、で、自分たちの学年は黄金時代と言われていて、今まで大会で入賞とかほとんどなかったのに、自分たちの学年だけ3年間連続で、何かしらの大会に入賞しつづけたんですよね。毎日、朝から昼休みから放課後までダンスしてた。本当に楽しかった。し、今でもダンス部員は大切な仲間。
高校時代(2012〜2015)
で、高校。高校は、今の自分のアイデンティティが根強く形成されたところ。高校きて、初めて女子校を経験することになるの。女性しかいない環境では、逆説的に、自分が女子であるという認識が薄れ、「個」としてやりたいことに素直に向き合えてた。もちろん、だからといって女子校って女子力皆無な場所なのかと言ったらそうでもなくて、みんな自己満足の世界で自分を表現していたし、カワイイ子も多かった。(うちの高校は特にカワイイ子多いで有名w)特に、どの授業でも、先生たちに「あなた達はこれからの時代女性としてリーダーシップを発揮していくのよ」と言われていたので、学校全体として、女性のエンパワメントや、ジェンダー平等に関する課題意識はとても高かったと思う。
それとは別に、ボランティア部の部長もしていたんだよね。社会貢献したいという気持ちはなぜか昔からあって、当時廃部危機にあった部活を救ってほしいと先輩に頼まれ、同期3人しかいなかった部活を40人まで部員増やして、改革をしたの。当初行われていた、貧困国への募金活動だけじゃなくて、ユニセフ募金を街灯で行ったり、震災ボランティアにいったり、他校のボランティア部と交流会したり、ボランティア会議って言って、ボランティア活動を始めたい高校生とボランティア活動をしている高校生を繋げる30人くらいの会議を友達と開催したりと、自分からリーダーシップをとって行動していくスタンスが身についたのは、この経験が大きいかな。
大学時代(2015〜2020)
そして、大学。初めて、14年間いた同質な環境から離れたの。そして、18年間ずっと徒歩通学だったから、初めての電車通学も経験した。最初のうちは、遅延証をもらえるのが楽しみで毎日電車乗ってた。笑 青山学院大学っていう東京の中でも表参道っていう都会に位置する大学で、私はマーケティングを専攻しているの。
なぜマーケティング?
マーケティングに興味を持ったきっかけは高校生のときに遡るんだけど、当時、Ice Bucket Challenge(アイスバケツチャレンジ)って言って、ALSという難病の認知度を広めるために、バケツいっぱいに組んだ水を自ら被って、その動画を乗せて、次にチャレンジしてほしい人をタグ付けしていくっていうムーブメントが流行っていたのね。このムーブメントの主目的は、まだ治療法がきちんと見つかっていない中で、治療法の開発費の寄付を募るために、まずは認知度をあげようということで、こういう現象になったんだけど、これも賛否両論あって、この行動によって認知度が上がるのであれば願ったり叶ったりっていう人もいれば、こんなふざけたことするなんて失礼だって人もいたの。でも、どの声もALS当事者の声を反映できていないから、意味ないなって思っていた矢先に、自分の母校の中学生の大先輩で、このALS患者の方がいるっていうので、ある日ね、中学の先生に頼んで会わせてもらったの。
そこで、彼はもともと広告代理店に勤めていたんだけど、ある日突然ALSの宣告をうけたっていうお話を伺ったの。で、彼は何をしたかというと、広告代理店での経験を生かして、END ALSという活動をはじめて、自らをブランディングすることで、ALSという難病の認知度を高めていったの。
これを聞いて、マーケティングって勝手にどうやったらその商品が売れるかとかの利潤追求のツールだと思っていたんだけど、こうやって社会課題に対しても適用できるんだなって思って、それで自分はマーケティングを社会課題解決に活かしていきたいと思って、マーケティング専攻にしたの。
大学時代の活動いろいろ
大学生活の中では色々な団体に入って色々な活動をしていた。
▷1年生
大学入ってすぐ始めたのが、HLABっていう今年で5年間関わり続けたことになる団体。そして、SLUSH ASIAっていうスタートアップ系の大きなフェスみたいなイベントが初日本にくるっていうことで、そのボランティアしていたり、i voteっていう、若者と政治を繋げるをコンセプトとしていた団体にも入ってた。
▷2年生
2年生では、リクルートキャリアで有給インターンをして、Campus Collectionっていう学生のファッションショーでモデルとして出ていたり、相変わらずHLABをしていたりって感じかな。後期くらいからは就活を意識しはじめていて、実際に合説とかOB訪問とかしていたんだっけかな。
▷3年生
3年生では、経産省で1年間アルバイトして、Ready&(LADY)っていう団体で女子高校生向けのリーダーシッププログラムのメンターをして、HLABやって、あとは就活ガチ勢だった。笑
▷4年生
4年生では、シグマクシスっていうコンサルでアルバイトしつつ、UDSっていうまちづくりの企業でインターンして、あとは、BranCo!っていう博報堂が運営しているブランドデザインコンテストに出たり。
▷5年生
5年生の今は、HLABやりつつ、Ready&やりつつ、女川に行きつつ、塩尻プロジェクト持ちつつって感じかな。
要するに興味あったことは、とりあえずやってみた5年間でした。
ハイライトはざっくりこんな感じ。
こんな22年間でした〜!!